政治に対する思い

あなたがあなたを生きるための政治。

八幡浜で行われた一次産業体験インターンシップに参加された学生さんの中に、大きなノートを携えている方がいらっしゃいました。
日記でもあり、会話の中で気になった言葉や考えを書き留める備忘録でもあるとのこと。
地域住民を交えた懇親会の夜、そのノートの習慣に込められた思いが語られました。
曰く「私はアンネ・フランク (*) のようになりたい」と (* ナチスによるユダヤ人迫害の中の生活を綴った有名な日記の著者)
大災害や戦争で人類社会から電子記録が失われるようなことがあったとしても、アナログな媒体なら残るだろうからノートに綴っている、と。
私はこの言葉に衝撃を受けました。
なぜならこの言葉の背景には、現状の社会の先行きには破滅が待ち受けているかもしれないという深い“絶望”があるからです。

ほかの学生さんにも尋ねたところ、この絶望感は同世代の中で広く共有されているもののようでした。
破滅的な戦争の危機は相変わらず無くならない。
相対評価の価値観で育てられてきた中で、自分の暮らす国自体の国際的な地位低下を見せられ続けている。
気候変動や差別などの社会問題の解決も遅々として進まない。
こうした中では、社会的視野で考えられる人ほど絶望せざるを得ない、と。
さらには、絶望から目を背けるためにあえて思考を止めて道化を演じている、とも。

彼らの意見に、私も共感できるところがあります。
平成3年生まれの私は、日本経済が低迷を続けた「失われた30年」と共に生きてきた「ミレニアル世代」あるいは「ゆとり世代」の人間。
人口増加による内需の拡大を背景とした安定雇用、所得の継続的な増加、といった昭和型モデルが崩壊する様を目の当たりにし、社会への不信や将来不安、絶望の声もよく聞かれる世代です。

私が政治活動を始めたのは、この絶望を乗り越えたいという思いもあってのことでした。
社会に存在するあらゆる課題について、その解決の第一歩は、誰かが課題解決に手を挙げることです。
問題提起がなされ、どれだけ解決策が論じられても、手を挙げて行動を担う人がいなければ課題解決は進みません。
それなのに、日本財団の「18歳意識調査」が示すように、日本ではこれからの社会を担う若者が諸外国と比べて圧倒的に不安に駆られ、絶望してしまっている現状があります (2019年調査2022年調査「自身について」「自分の国の将来について」等)。
この状況を改善し、課題解決の担い手が少しでも生まれやすくなるようにしたいとの思いで、2019年に私は政治活動を始めました。
2021年に過去のインターネット上での言動について数多くのご批判を受け、政党支部長を引責辞任した上に予定していた選挙への立候補も辞退しましたが、その後もこの思いは持ち続けています。

民主主義社会において私たちは、“消費者”でも“従業員”でもなく“責任者”です。
たとえ諸外国や先の世代と比べて不利な要素があっても、社会の課題に対処する責任は私たちにあります。
“責任者”である私たちが行動しなければ、課題解決は進みません。
強いリーダーだけに任せて間に合うほど、課題は少なくもありません。
だからこそ、私たち一人ひとりの願いと力をより良く行動に繋げられるように、社会の環境を整えていこうではありませんか。
必要なところに手が回るようお金と労働力の流れを調整したり、個人が抱えるリスクをなるべく社会全体で分かち合うようにしたり。
時には何が「良い」か意見が分かれることがあります。
自分とは異なる意見にも傾聴し、事実に基づいて論理的に考え、合意を作っていくことに慣れる場も必要ですし、前提としてすべての人が個人として尊重され、意見を表明できる状態も必要です。
そして配慮する相手には未来に生まれてくる人々も含めておく方が、“責任者”としてより格好良いと思いませんか

社会課題はたくさんあります。
一人では手に余るから、まずは政治の在り方の改善に取り組もうとしています。
あなたがあなたを生きること、より良い未来に繋がっていくように
あなたには、社会を変える力があります。
もしよろしければ、そのお力を貸してください。

推し進めたい政策課題の例

対話に慣れる場づくり

生き方を強いる慣習の緩和

地域の特色を活かす産業振興

人が減っても暮らせる町づくり

社会が“保険”する安心の拡充

将来世代に重荷を残さない