会報2025年2月号の挨拶文

お世話になっている皆様へのご挨拶とご報告

それぞれ別の活動に携わる2人の方が、同じ「命ある限り」という言葉を使って活動への思いを述べられている場面に出会いました。
1人は、宇和島空襲を記録する会の方。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したことを受け、先の大戦で原爆投下の“訓練”として宇和島ほか各地に投下され多数の命を奪った「パンプキン爆弾」について尋ねたテレビ局のインタビューに対し、人の命があまりにも軽く扱われる戦争という行いの惨さと愚かさを体験者として「命ある限り」語り続け、非戦の選択へと働きかけ続けていく、という思いを述べられていました。
もう1人は、海洋ゴミ問題の解決に取り組む(一社)E.Cオーシャンズの方。大量消費社会の副産物として流出と漂着を続ける大量のゴミを一掃することは、残念ながら自分の生きているうちには実現できず次世代に託すしかないのだけれども「命ある限り」取り組み続ける、と思いを述べられていました。年末に参加させていただいた八幡浜市の無人島・佐島でのゴミ拾いの夜、チャリティーコンサートの舞台上でのお話でした。

2025年は、私たちの国にとって戦後80年の節目の年。また、21世紀に入ってからも早4分の1が過ぎようとしています。
私たちの社会は、どこへ向かっていくのでしょうか。

昨年は選挙の話題が賑やかな1年でした。衆院選で与野党の議席数が拮抗し、国会がより熟議を要する場になったことは喜ばしく思う一方で、選挙中の火炎瓶の投擲など暴力行為が生じたり事実に反する情報が広まったりしている状況を怖ろしく感じてもいます。人によって信じる“真実”すらも異なりうる昨今、民主主義を営むためにはより一層の「不断の努力」が求められています。
「命ある限り」立ち向かい続けるという先輩方の姿勢に倣い、私も行動し続けたいものです。
今、ここで、できることから。
今年、私の生まれたまちである八幡浜市から、政治への働きかけを再開します。
かつての不祥事についてまたご批判を受けるかもしれませんが、民主主義社会の“責任者”として、私はその責を全うしたい。難題から逃げたくない。
手前勝手で甚だ恐縮ですが、私の挑戦を温かく見守っていただければ幸いです。

2025年2月吉日